忘れられる権利
去年、
裁判所が、インターネット検索サイトに対し
検索結果の一部を削除するよう命じた。
検索サイトで氏名を入力すると、
過去に犯罪を犯したかのように連想させる記事が
表示されるという事で、その削除を本人が求めていた。
最近聞かれるようになった
「忘れられる権利」というのは、
「検索結果から、その人の特定の情報を消すことができる権利」
というものである。
憲法学においては、
「プライバシーの権利とは何か」
という論点がある。
有力な学説は、
プライバシーの権利とは、簡単にいえば
「自己に関わる情報を開示する範囲をコントロールできる権利」
ととらえる。
高度情報社会においては、
上述の検索結果をめぐる裁判のように、
本人の関与できないところで、誤った個人情報が
拡散してしまう危険性が生じる。
したがって、
本人が自己の情報を
コントロールできるようにすることが大事になる。
このように、
「自己情報を自分でコントロールする」という考え方は、
憲法学においては従来より議論されてきた。
そう考えると、
「忘れられる権利」というのは、
言葉としては新しいのかも知れないけれども、
その考え方としては、
憲法学の「プライバシーの権利」についての
議論の延長線上にあるものではないだろうか。
従来議論されきたのに、ここへ来て
「忘れられる権利」という新たな言葉が登場した背景は、
情報の高度化によって
自己の情報をコントロールしにくくなった危険性が、
これまで以上に高まっている現状への危機感があるのだろうと思う。
裁判所が、インターネット検索サイトに対し
検索結果の一部を削除するよう命じた。
検索サイトで氏名を入力すると、
過去に犯罪を犯したかのように連想させる記事が
表示されるという事で、その削除を本人が求めていた。
最近聞かれるようになった
「忘れられる権利」というのは、
「検索結果から、その人の特定の情報を消すことができる権利」
というものである。
憲法学においては、
「プライバシーの権利とは何か」
という論点がある。
有力な学説は、
プライバシーの権利とは、簡単にいえば
「自己に関わる情報を開示する範囲をコントロールできる権利」
ととらえる。
高度情報社会においては、
上述の検索結果をめぐる裁判のように、
本人の関与できないところで、誤った個人情報が
拡散してしまう危険性が生じる。
したがって、
本人が自己の情報を
コントロールできるようにすることが大事になる。
このように、
「自己情報を自分でコントロールする」という考え方は、
憲法学においては従来より議論されてきた。
そう考えると、
「忘れられる権利」というのは、
言葉としては新しいのかも知れないけれども、
その考え方としては、
憲法学の「プライバシーの権利」についての
議論の延長線上にあるものではないだろうか。
従来議論されきたのに、ここへ来て
「忘れられる権利」という新たな言葉が登場した背景は、
情報の高度化によって
自己の情報をコントロールしにくくなった危険性が、
これまで以上に高まっている現状への危機感があるのだろうと思う。
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